わが家の秘密


【悟・1】


…わが家には、秘密がある。





期末テスト。
数学。
27点。

うん。

……カンペキ、しばかれる。





「やぁっべえぇぇぇー!!」

自室のベッドの上。
赤点・追試確定のテストを眺めて叫ぶ。
オレはテストを放って、そのままベッドに倒れ込んだ。

惨憺たる結果のテストは、ひらひらと胸のあたりに落ちてきた。

くっそ!
忌々しい!!

小学生の頃から苦手だった算数は、数学という悪魔に進化してオレを苦しめる。
Xがどうだとか、意味わっかんねぇもん!

つぅか、マジでどうしよう。
コレ。

「どうするも、こうするも、素直に見せるしかねぇだろ。アホ」

頭上から声がして、オレは飛び起きた。

「トオル!!」

声の主を見遣れば、
1つ年上の兄、透がオレのテストを手に取って、呆れ顔を寄越していた。

「ふっざけんな!なに勝手に人の部屋に入ってきてんだよ!!」

ぶん投げた枕は、あっさりと避けられて、余計にイラついた。

オレとトオルは、仲が悪い。
歳の近い兄弟なんて、みんなそうだろ。
とにかくムカつく。

「お前、ヤバくない?こんな問題も分かんないの??」

ムカつく!
ムカつく、ムカつく!!

「うるっっせぇ!出てけよ!!」

近くにあるものを、とにかく投げる。
トオルは器用に避け続けた。

「中間の時、期末で絶対に平均点以上取るって、父さんと約束してただろ?」

トオルの言葉に、オレは無意識に顔を歪めた。
そのことを考えると、泣きたくなるから。
実際に、じんわり涙が浮いた。





わが家は、成績にうるさい。
小学校の頃は「宿題しなさい」くらいだったのに、
中学に入って、本当に厳しくなった。

中学1年生。
定期テストは、まだ2回目。

初めての中間テストでも、数学は散々で、お父さんにめちゃくちゃ説教された。
謝り倒して、期末で必ず挽回するって約束して『アレ』を回避したんだ。

…『アレ』?
………うん。

口にも出したくないけど。
お仕置き。

お尻叩かれんの。

子どもの頃からずっと、なにか悪さしたら尻叩かれてた。

さすがに中学入ったらなくなるかなー。
なんて淡い期待してたけど。
1つ上のトオルが、去年、身をもってその期待を打ち消してくれた。


そんなわけで。

中間テストの時に、お父さんと交わした約束を守れなかったオレは…、
………どうなるんだろう。





「…説教だけで済むかな」

心の声が思わず声に出る。
独り言だったのに、返事が返ってきた。

「済むわけないじゃん。お前、テスト期間中、息抜きの度を越えてゲームしてただろ」

トオルは呆れたようにそう言った。

「なんで知ってんだよ!?」

テスト期間中、テレビゲーム機と、携帯ゲーム機は没収されてる。
だから、息抜きにスマホに新しいゲームアプリをダウンロードした。
…息抜きに。

息抜きが本気になって、
スマホとずっとにらめっこしてた。

でも、自分の部屋の中だけ。
バレるわけないのに!

「父さんも知ってるよ。…何でかは自分で考えな」

「トオルが言ったんだろ!?」
「言わねぇよ!なんで俺がんな事わざわざ言わなきゃなんねんだよ!」
「じゃあ何でお父さんも知ってんだよ!」
「お前が馬鹿だからだろ!」
「はあ!?ほんとムカつく!!」

余裕ぶった態度がムカついて、
思いっきりトオルの肩を突く。

「ってぇな!」

トオルが同じように肩を突き返してきて、

後はもう、取っ組み合いのケンカ。
…いつものことなんだけど。


そんで。
お互いに熱くなりすぎて。

目覚まし時計を窓ガラスに向けて投げたのは、


……どっちだったかな。




【透・1】


ガシャン!

硬質な何かが、高い音を立てた。

俺も、悟も、音のした方向を反射的に見た。
悟の部屋の、窓ガラス。
蜘蛛の巣みたいにヒビが入ってた。
床には壊れた目覚まし時計。

…どっちが投げたんだっけ。


状況を把握した瞬間、血の気が引いた。
やばい。

「……どうすんだよっ」
「どうするって、トオルが悪いんじゃん!」
「何でだよ!お前だろ!!」

ケンカだけなら、
お互いに傷を隠してなかったことにできるけれど。
ガラスを割ったとなると、親に申告せざるを得ない。

…最悪。

ちょっと悟をからかうだけのつもりだったのに。
悟がテストのことで叱られるのを高みの見物するはずだったのに。

……これはヤバい。

「どうすんだよ!?」

悟は半泣きで俺に突っかかる。
知らねぇよ!





「ずいぶん騒がしいね」

俺も、悟も、瞬時に背筋が伸びる。
声のした方へ反射的に視線を向けた。

「…父さん」
「お父さん」

皺ひとつない、仕立ての良いスーツを着た父親の姿を見て、声が揃った。
インテリそうな銀ぶち眼鏡が、光に反射して、その表情を読み取ることができない。

けれど。
マズイ状況だということは、嫌でもよくわかる。


…銀行マンである父親の帰宅時間は夜遅い。
仕事だか接待だか、
たいてい眠りに付く頃に帰って来ることが多い。

…はずなのに。

床に転がった、壊れた目覚まし時計をちらりと見遣る。
午後6時を過ぎたところで長針が左右に振れ続けている。
普段は絶対いるわけない時間なのに。

…なんで、こんな時間に??


取り繕うヒマもない。

取っ組み合いのケンカをして、荒れた室内。
ヒビの入ったガラス窓。

…すべての元凶である、悟の数学の答案用紙は
最悪なことにドア近くに落ちている。


答案用紙が父さんの目に留まる。
それが拾われる様を、見ていることしかできなかった。
その内容を認めて、わずかに眉が顰められる。
改めて室内を見渡して、
…全てを理解したに違いない。


「…悟、これは期末テストの答案?」
「……………うん」
「返事は「はい」だろう」
「……は、い」

「…透、ケンカしたの?」
「………はい」

そう。
父さんは穏やかな声でひとつ頷いて、言った。


「…ふたりとも和室に来なさい」


眼鏡の奥の穏やかな目が、逆に怖い…――。





「透、悟。お尻出して、座卓にお腹を乗せなさい」

和室に着くなり、父さんは俺たちに静かに命じる。
言われたら最後。
背くことはできない。

ふぅ。
心の中でこっそりため息をついて、俺は受け入れる。

言われたまま、素直にパンツのボタンを外して、ファスナーを開ける。
下着ごと下ろして、尻を出して、座卓に上半身を預けた。

下半身を晒している状況はもちろん恥ずかしいし、情けなくて泣きそうになる。
けれど、素直に従うことが最善であると、身をもって学んでいる。


「…悟。早くしなさい」


は?
隣りを見れば、悟が往生際悪く、突っ立ったままであることが分かった。

「悟?」

父さんの呼びかけに、悟は首を振るばかりだった。

どんだけ学習能力ねぇんだよ。
これ以上怒らせないようにするしかないだろが。

「…悟は、お父さんの言うことが聞けないか?」

うわ。
これはマズい。
早くしろよ、馬鹿!

「………そう。じゃあ、こっちへ来なさい」

俺が見えたのは、父さんに無理やり腕を引かれる悟の姿だった。
俺の背中の方で「いやだ!」とか「いい加減にしなさい」だとかそんな声が聞こえた。

べッチィン!
バッチィン!!
パァァァン!!!

聞いているこっちが辛くなるような大きな音がする。
きっと、無理やりに尻出されて、立膝で思いっきり尻叩かれてるんだと思う。
見えないけど。

「やだあぁ!ごめ、ごえんなさいぃ!!」

びぃびぃ泣く声が聞こえる。
きっと、尻の痛みよりも、父さんが怖いからだと思う。

こうやって、悟はいつも余計に尻叩かれんだよね。
いい加減学べよ、馬鹿。


つぅか、尻丸出しで放っておかれる俺の身にもなれ!





「悟。そのまま透の隣に行きなさい」

2、3分して、
べっちん、ばっちん尻叩かれていた悟が、泣きながら隣りに並んだ。

ちらりと見れば、すでに尻がほんのり色づいていた。
手形浮いてたね。
マジ痛そう。
父さん、容赦ない。


「さて。まずは透から。…お仕置きされる理由を言いなさい」

ピタリと尻にお仕置き用の竹の定規が当てられる。
背中がぞくりとした。
ほんとやだ。

「…サトルと、ケンカしました」

ピシャン!
一打。
尻に痛みが走る。

「…っう」

「それから?」

「っ、ケンカして、ガラス、割りました」

ピシィっ!
二打。
痛みに息が詰まる。

「それだけ?どうしてケンカになったの?」

「…………サトルのテストの結果、からかったから」

ひゅ、風を切る音がして、
ピシィ!
ピシィ!!
続けて2回叩かれた。

自然に涙が浮く。

「ご、ごめんなさい」

「それはお仕置きの後で悟に言いなさい」

「………………。」

謝るのか。
悟に。

いやだなぁ。

「透、返事は?」

ピシィ!
ピシィ!!

「………っ」

同じところを続けて叩かれた。

「は、ぃ。きちんと、謝ります」

痛みに耐えて、震える声を押さえる。
悟みたいに、みっともなく泣くのは嫌だ。

「透。…君は、悟のお兄ちゃんなんだからね?」

「…………。」

だって、
好きでコイツの兄貴に生まれたわけじゃない。

「不満なの?」

見透かされたように声が降って来る。
ぶんぶんと首を振って否定するけれど、見逃してもらえはしない。

「君たちは血を分けた、たった2人の兄弟だよ。父さんを悲しませるようなこと言わないで」

ピシィ!
ピシィ!!

「ぅ、あ…っ」

痛い。
さらに涙が溢れる。

「それじゃあ、ケンカの原因を作ったのは透だね?」

げ。
…そうなるか。
そうだけど。

「はい。…俺が、からかったから」

ピシィ!
ピシィ!!
ピシャンっ!

「……っつ!」

「そのまましばらく反省しなさい」




【悟・2】

 
隣りでトオルがピシャピシャ尻を打たれている間、
次は自分だとひたすらに震えてた。

「…悟」

お父さんに呼びかけられて、ビクリと身体が緊張する。

オレの、番だ。





「あの数学の答案は期末テストのもの?」

すでに叩かれて、じんじんするお尻に定規が当てられる。
平べったい感覚が怖くてしょうがない。

「…は、い」
「いつ返ってきたの?」

我が家では、テストが返却されたら、その日のうちに見せる決まりになっている。

「…きょう」

小さな声で、ぼそりと呟くように答える。
…そう答えるしか、ない。

定規がお尻から離れて、
すぐに打ち付けられるように帰ってきた。

ピシャン!

「……いってっっ!」

「期末テストは先週だったね。金曜日まで数学の授業はなかったのかな」

怖い。
尻の痛みより何より、お父さんが怖い。

「ごめっ、さぃ…。火曜日に、返って、きてた」

結果を見せたくなくて。
お父さんが少しでも機嫌のいい日に見せようと思ってた。

ピシィ!
ピシィ!!

「いた、いっっ、う、ぅう」

落ち着いてた涙が、速攻で浮いた。
ポロポロ、零れる。

「悟。テストが返されたらすぐに見せる約束だろう」
「ぅ、だって…っ」
「夜に会えなくても、朝は顔を合わせているはずだよ?」
「…ごめん、なさい!」
「……それで、今回の数学の平均点は何点だった?」

とっさに答えられなくて、
名前を呼ばれて、ようやく声が出た。

「…………さんじゅっ、点」

30点。
お父さんはしばらく無言だった。
怖くて、泣くふりをしてごまかす。

「悟は、お父さんの膝の上じゃないと、素直になれないみたいだね」

え。

「来なさい」

腕を掴まれて、オレは座卓から引き下ろされる。

「い、やだ!!」

力を込めて抵抗しても敵わなくて、
あぐらをかいたお父さんの膝に乗せられる。

畳の目が視界いっぱいに広がった。


パァン!

平手で、お尻の真ん中を打たれた。
痛みに背中が反りかえる。

「もう一度聞くよ。数学の平均点は?」

「ろく、じゅってん、ちょっと、」
「悟は何点だった?」
「…ひっく、にじゅう、なな、てん」
「前にお父さんとした約束を言いなさい」
「………き、まつテストで、数学、平均点、とるって」
「きちんと勉強したの?」
「…した、よ!数学、苦手…」
「苦手なら重点的にしなさい」
「……した」
「悟?」
「したもん!」

やけくそで叫ぶと、
お父さんの溜息が聞こえた。

「…ゲーム、してたんだって?」

その単語に、思わず反応してしまう。

「スマホゲームに、夢中だったみたいだね」

バレてる。
…身体が自然に震える。

「トオルが言ったの!?」

「いいや。お母さんから聞いた。それに、今、誰から聞いたかは問題じゃないよ。悟の話をしているんだよ」

お父さんは、いつも冷静に叱る。
それが怖くて俯くしかない。

「悟。なにか言うことは?」

「…ごめ、なさ、い。あんまり、数学、勉強しなかった」

「そう。それじゃあ、仕方ないね。お尻叩くよ。お仕置きをしっかり受けなさい」

パァン!
パァン!!
パァン!!!

お父さんの大きな手で、お尻を叩かれる。
膝の上。
痛くてすぐに泣いた。

学年が一つ上に上がったって、なんにも変わらない。
小学生の頃と変わらず、
引っ叩かれる尻は痛いし、
痛みに弱くて、涙が勝手に流れる。

パァン!
パァン!!
パァン!!!

「ぅわあああ、痛いぃっ!」

「反省しなさい。自分が悪いんだよ」

パァン!
パァン!!
パァン!!!

容赦なく、平手を打ちつけられる。
まんべんなくお尻を打たれて、足をバタつかせて痛みに耐えた。

「大人しくしなさい」

パシィン!

太ももに平手を落とされて、ますます泣いた。
そこ、すんごい痛い。

ごめんなさい、
ごめんなさい、
いっぱい繰り返して、ようやくお父さんのお仕置きの手は止まった。

身体を起こされて、
尻を出したまま、畳に座る。
腫れた尻に冷たい感覚は気持ちいいけれど、ざらざらした感触は痛かった。

お父さんは、まだ怖い顔。

「…悟。次の定期テスト、頑張れるな?」

うん、
うん、うん!

オレは必死に頷く。

「声に出して、きちんと約束するんだ」

「…はぃ。…次、は、がんばる」

「せめて平均点。できるね?」
「…………はい」
「次は携帯も預かるからね」
「…えっ、それはっっ」
「……悟。まだお仕置き足りないかな」
「いや!いやだ!!あ、預けます。…預かって、くださ、い」

うん。
お父さんは一つ頷く。

「ゲームで勉強を怠るなんて、絶対許さないよ。二度目はないと思いなさい」

めちゃくちゃ怖い。
震える声で、返事をするので精一杯だ。

「よし。じゃあ、透の隣に戻って」

…え?
オレは泣きながらお父さんの顔を見る。

「今のはテストのお仕置きだよ。まだケンカのお仕置きは済んでないだろう」

「…そんなっっ」

あんなに叩かれたのに!?
非難するような口調になって、お父さんは眉を顰める。

「悟」

静かに名前を呼ばれると、条件反射で身体はビクつく。

「も、どります!」

そう言って、オレは腰を上げる。
Tシャツを引っ張って前を隠して、慌てて数歩先の座卓へ向かった。

トオルは白い尻を出して、そこでじっとしていた。
少し、定規で打たれた跡があるだけ。

オレは絶対もう真っ赤に腫れてるのに、納得いかない!

トオルの隣に並んだ時、トオルは忌々しそうなカオでこっち見てた。
ほんとムカつく。
トオルだけお仕置きされればいいのに!!




【透・2】

悟が隣りに戻って来た。

真っ赤に打たれた尻がチラリと目に入るけど、同情なんか絶対してやらない。
お前のソレは自業自得だからな!

「それじゃあ、ケンカのお仕置きをするよ。30回ずつ叩くから、素直に受けなさい」


背中越しに、父さんの声が聞こえた。

…30回。

さいっあく。
何で俺が!!

心の中で舌打ちするけれど、決して態度には出さない。
それが13年で学んだ処世術。

……なのに。

「30回!?…なんで、オレも!?オレもういっぱい叩かれたよ!トオルと一緒なの?」

隣りに並んだ悟が、往生際悪く、涙声で叫んだ。

馬鹿だ。
馬鹿。
ほんとうに馬鹿だ、コイツ!

「…悟。今からするのは、ケンカのお仕置きだって、聞こえなかったかな?」

部屋の気温が2・3度下がった気がする。
ほんと止めて、バカ悟。

「2回ずつ追加にしようか」

父さんの言葉に、

「…はっ?俺…っっ」

『も』という言葉は寸前で飲み込んだ。

危うく二の舞になるところだった。
さすがの悟も、いろんな言葉を飲み込んだらしいから。

「連帯責任だよ。素直に受けなさい。これ以上、数を増やさせないで」

くそっ!
悟のせいだからな!!





バチッ!

「…ぅあっ」

先ほどとは明らかに違う音が聞こえて、
俺は一打目から、背中をのけ反らせる。

バチッ!

じんとした痛みが駆ける頃、今度は隣りで同じ音が聞こえてくる。
ちなみに悟の悲鳴付き。

その次はまた自分の番。
父さんが俺の後ろで定規を振りかぶる気配がして、目を閉じる。

バチッッ!

尻に力を入れていても、本気で痛い。
自然に涙が浮く。

悟はさんざん叩かれた後だから、余計に痛むらしい。
隣りですでに号泣してる。

そんなに息吸い込んでたら苦しいだろ。
…やっぱり。
まぁ、同情してやらないこともない。

たった一つでも年上なわけで。
兄なわけで。

バチッ!

「ぃっっって…っ」

…やっぱ無理。

馬鹿のこと気にかけてる余裕ないわ。
痛すぎる。
父さん、絶対同じようなとこ狙って打ってる。
くそ痛い。

前から薄々思ってたけど、サドでしょ。

バチッ!!

「ひっっ、てぇ…っ」

10ほど同じようなところ打たれて、さすがにキツくなってきた。
まだ半分もいってないのに。

隣りの悟は、打たれる度に短い悲鳴を上げて、
座卓の上に、涙の池を作っていた。

悟の横顔を見る。
涙でぐしゃぐしゃだ。
汗だか鼻水だかとにかく液体まみれ。

汚ねぇな。

そんだけ痛いんだろうけど。
頼むから余計な事言わずに、黙って耐えてろよ!





ひゅっ

小さく風を切る音がして、
「来るな」と思ったら、
予想通り、飛び切りの痛みが降ってきた。


「ぅあっ!!」

反射で右手が尻に伸びる。

痛い!!
うわ、今の痛いって!

「…透」

父さんに静かに名前を呼ばれて、すぐに尻から手を離す。
…やべ。

「ごめ、…なさい」

パァァンっ!

謝罪の甲斐もなく、すかさず咎めるように平手が打ちこまれた。
痛みに背中が反りかえる。

俺、謝ったよね?
くっそ。

手で叩かれると、大きな音がするから嫌だ。
音、部屋の外にもれてそうで恥ずかしい。


「気を付けなさい」
「…はぃ」

無理だろ。
無理だよ!
くそ痛い!!

20は超えた。
あと少し。

ぎゅっとまぶたを閉じていると、父さんの声が聞こえた。


「…うん。それじゃあ、手で庇わないように、二人ともお互いの手を握りなさい」


はぁ?
俺も悟も揃って父さんを振り返る。

表情は至って真面目で、冗談なんか言ってないことが分かった。
本気だ。

悟と顔を見合わせて、
お互いに嫌な顔をする。

「…透、…悟。………聞こえた?」

背筋がぞわっとする。
微笑みが怖い。

「「はい。」」

思わず返事が揃う。
…しょうがない。
嫌々伸ばした手をお互いに握り合った。

俺は右手。
悟は左手。

手をつなぐなんて、いつぶりだろうか。

悟の左手は、涙だか汗だかで湿ってて、気持ち悪かった。
でも、不快に思うのも最初だけ。

痛すぎて、痛すぎて、すぐにそんなのどうでもよくなる。

尻を打たれた痛みを逃すために、繋いだ右手をきつく握る。
悟も同じ。
打たれる度に力を込める。

交互に握り合って、
痛みを受けているのは自分だけではないことになんとなく安心する。

「…っつ」

それにしても力込めすぎだけどね。
後で覚えてろよ。





「さて」

息も絶え絶えになる頃。
父さんは、定規を振り下ろす手を止めた。

「次で最後だよ。…透」

呼ばれて、「はい」と返事をする。

「なにか言う事は?」

…来た。
懺悔の言葉。
これ間違えると、余計叩かれることになりかねない。

ピタリと腫れた尻に定規が当てられて、
いつ打たれるか分からない状況で求められる言葉。

「…ガラスを、割って……ごめんなさい。サトルとも、…これからケンカしないように気を付けます。
父さんからお仕置きを受けるような事、もうしません」

ごめんなさい。
最後にダメ押しで付け加えて、父さんの言葉を待つ。

「約束できる?」
「…はい」
「じゃあ最後だ。痛いから我慢しなさい」

宣言された。
これは強く打ってくるな。

定規が尻から離れる。
続けて、父さんが定規を振りかぶる気配がした。

ひゅん。
風を裂く音が、また聞こえて、目を強く閉じる。

バチィっ!

自分の背後で音が弾ける。
腫れた尻に、強い痛みを感じた。
思わず背中がのけ反る。

「………っつ」

っっっっっぃったい!!!

反射で、悟とつないだ右手を振り払い、打たれた尻に手が伸びる。
庇うように伸ばした手は、あっさりと大きな手に掴まった。

「ダメだ。透。まだ悟が終わってない。そのまま姿勢を崩さずにいなさい」

厳しい声。
…鬼だ。
鬼。

じんじんと痛む尻を庇いたい衝動を堪えて、
ひたすらにその痛みに向き合う。

もう嫌だ。
もう絶対いやだ。


俺はもう二度とこの部屋に連れられるようなことしない!




【悟・3】


「悟。お兄ちゃんの言葉、聞いてたね?…何か言う事は?」


言葉と共に、お尻に定規が添えられる。
ビクリと背が震えた。

さっき。
隣りでものすごい音が炸裂してたから。

オレも、あんな風に、叩かれる。

そう思ったら、怖くて、
「あ」とか「う」とか、嗚咽の合間にそんな言葉しか出てこない。

だって、あのトオルがあれだけ痛がるってなんなの。
本気でこわい。

「……悟?」

名前を呼ばれる。
…2回目。
なにか言わなきゃ。

トオル、なんて言ってたっけ?

パニックになった頭に、そうそう言葉なんて浮かんでこない。
なんでオレ、トオルみたいに要領よくできないんだろう。

「悟。」

3回目。
優しく問いかけるような口調が消えて、咎めるようなものになる。

「ごめっ…な、さい!!…も、ぜったい、しない…っ」

慌てて口を開いて、ようやく言えたのがそれだけ。
お父さんは吐息混じりで、更に聞いた。

「何を?」

…なにを?
………なんだっけ。

オレ、なんで怒られてたんだっけ?
えっと…


「…ケンカ!……もうしないから。ぅ、ガラスも、割らないから。ひっく、ふ。う…、
ごめ、ん、なさ…ぃ」

「……………。」

無言。
背後に気配はするのに、なんにも言ってくれない。

そろりと後ろを振り返ると、
腕組みしたお父さんと目が合った。

ごくりと息を呑むけれど、
お父さんは、ふ、と頬を緩めた。

「分かった。悟も次で最後だよ。我慢しなさい」

最後。
最後だ。
すっげ痛いだろうけど、あと1回。

お尻から定規が離れる。
心臓がこれでもかとバクバク音を立てた。
ぎゅっと固く目を閉じて、定規が風を切る音が耳に届く。

バチィっ!

すごい音。
遅れて、痛みが身体中に駆け巡る。

「っい…、痛いぃぃー……っっ」

悶絶。

座卓から身体を離して、
反射的に両の手を尻に伸ばす。

お尻、すんごく熱い。
ぱんぱんに腫れてる。

触るのも痛いけど、
手を離すと、もっと痛むから不思議だ。

「悟。お父さん、まだお仕置き終わりって言ってないはずだけど?」

え。
そうなの?


涙でぐしゃぐしゃの顔をお父さんへ向ける。
呆れた顔。
そのうち、ふと頬を緩める。

「まぁ、いいか。終わりだよ。透も、もういいよ」

小さな呻き声と共に、トオルがゆっくりと座卓から起き上がる。
あんま泣いてない。
痛そうに顔は歪めているけど。

トオルはすぐに服を整えて、赤い尻を仕舞った。

…よくできるな。
オレまだ痛くて無理かも。

……でも恥ずかしい。

オレもやけくそでスウェットのパンツを上げた。
…やっぱ痛い。
それだけで涙が溢れる。


「それで。…お互いに言う事あるよな?」

一部始終を見守っていたお父さんがにっこりと笑って言った。

あー…
トオルのウンザリした顔、ムカつく。

「悟。テストの結果、からかってごめん」

先に言っちゃうんだよね。
トオルのこういうとこ、ほんとムカつく。

後からって、すごく、言いづらい。

「…オレ、も。いっぱい、物投げて。…ごめん」

しぶしぶ口にすると、トオルはにっこり笑った。

え、
なにそのうさんくさい笑顔。

テメーフザケンナ
ダレノセイデコンナコトニナッタトオモッテンダヨ

すげー。
オレ読める。
トオルの表情、読める、オレ。

そっくりそのまま返すけどな!


「あぁ。…あと。しばらく、悟は透の部屋で寝起きすること」

お父さんの言葉に、「はぁ?」とふたりの声が重なる。

「悟の部屋、ガラス割れたでしょ」
「修理してくれないの?」
「そのうちね」
「そのうちって!?」
「お父さん、明日から出張なんだけど」
「へ?」
「1週間、ニューヨーク行ってるから、少なくともその間は一緒に生活しなさい」
「嫌だよ!」
「客間でいいじゃん!」


「透、悟」

静かな声。
オレたちの動きが止まる。

「お父さんの言う事、聞けるよね?」

うわっ。
怖い…。

「…はい」
「はい」

「出張中の様子はお母さんに聞くから。ごまかすなよ。ケンカなんてしようと思うな。
またここに来ることになるよ」

うわあ、最悪。
トオルと顔を見合わせて、すぐに顔を背け合う。

いや、
もう無理。

オレたち絶対合わないもん。

「仲良くしなさい」

お父さんは呆れたように笑うと、
オレたちの頭に優しく触れた。




…無事に1週間を過ごせたかどうかは、

また、別の話。



*・*・*



「お前、絶対言うなよ」
「なにを?」
「尻叩かれるってこと。どこにも1ミリも漏らすなよ」
「い、言うわけないだろ!」
「お前、ほんと信用できないからな。明日、学校で痛がるなよ」
「はぁ?そんなんトオルもだし」
「俺がそんなヘマするか。いいか、これはわが家の最重要機密だからな」



…わが家の秘密。






歳の近い、仲悪め兄弟のお話です

弟くん、定番のアホの子ですw
 インテリ眼鏡ドSパパが割と好きでした。
 

お手々つなぎ可愛かった(*´▽`*)
 
2017.1.1〜5.7


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